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最近になって、ようやく、冷戦後の世界秩序が、なんとなく見えてきたのと同時に、近代以降の、アジア人の帰属意識問題という、大問題(それは、アヘン戦争で崩壊した)が、ついに、中国の復活と共に、何か、根本的な意味での、見直しが要求されていて、もはや、そのような要求を無視するわけにはいかない状況になってきたのではないかと思える。

何でもそうだが、末期症状になると、0か1か、というような思考になってしまう。

しかし、現実世界は、0か1ではない。

よって、アジア問題を語る場合も、ソ連、アメリカ、中国、などの問題も、絶対に0か1では終わらない、という大前提をもってして、初めて、それを出発点とすることができる。

思うに、中国人は、過去150年くらい、物凄い悩んだと思えてきた。恐らく、かなり、悩んだんだと思える。中華文明は、医学から、建築学、科学、哲学においても、1850年代くらいまでであれば、そんなに負けているわけではなかった。

私はそう考えている。しかし、アヘン戦争の後、アジア中の知識人たちは、皆、驚き、なんとなしなければいけない、と、もう既に、植民地になった国が多かったわけだが、最後に、地理的に幸運だったと思える日本は、やられる前にやる、というような、ある種の論理のすり替えか、もしくは、極端で、やや無理があるかもしれない、日本的な特殊な合理性理論で、西洋的に近代化することを、目標とした。

この後、日本では、開国から日露戦争まで、50年くらいの間、相当なレベルの試行錯誤が行われて、何とかしなければ!という思いが、つのりつのって、ようやく、日露戦争くらいまで、たどり着くことができた。

私が興味を持っているのは、この明治期に、色々な西洋思想が、漢字に翻訳された、ということであり、このときに、英語や、フランス語などの、哲学的用語とか、科学、という言葉、物理、という言葉、

こういう西洋概念を、漢字に翻訳した人たちは、かなり凄い人たちだった可能性があるが、最近の更なる、深い研究によって、その当時に、翻訳され、漢字となり、今日でも使われているもので、間違った解釈で、輸入されてしまった、とされるものが、結構ある、ということが、新たに判明したようだ。

まあ、西洋のギリシャから数えれば2000年以上の歴史を、明治の50年たらずで、全て、翻訳しようとしたんだから、間違いがあっても、まったくおかしくない。ただ、今後、間違っていることがわかったら、どんどん、訂正しなければいけない。

外交などにおいても、使われる言葉は、かなり、厳選されなければならない。この点については、外交という意味では、中国は、日本の大先輩であるといえる。唐や明の時代から、外交ということをやってきた中国には、きっと、日本人では、まったく、気づかなかったような、交渉術、のようなものを、知っているに違いないと思える。

中国の外交を見る限り、それは、主に、損得勘定というよりか、対等であるかどうか、が重要になっているように見える。

1980年代くらいまでは、そんなにプライドが高い中国人は、少々、頭を下げても、損して得取れ、と思いながら、西洋人とつきあっていた日本人からすれば、なんだか、合理的でない人たちだな、と、恐らく、ほとんどの人には、中国人は、そのように見えていたと思える。

しかし、彼らのやり方は、本当は、もっと、はるか長期戦として、近代を見ていたのかもしれない、と、最近になって、思うようになった。

恐らく、私と同じような思想転換をした人は多いんじゃないだろうか?20年くらい前までは、なんだか、プライドが高くて、恐怖政治で、とまあ、褒めようと思っても、なかなか、褒められるような国ではなかった中国だったが、今では、まるで、天地がひっくり返ったような雰囲気でさえある。

ただ、その当時の、中国蔑視の習慣は、今でも日本に残っていて、特に年配の方は、発想を変えるのが難しそうに思える。というか、無理だろう。老人に、考え方を変えろ、というのは、それこそ、モラルハラスメント(精神的虐待)であるといえる。

それを知ってか、知らぬか、中国は日本を非難し続ける。何でもそうだが、行き過ぎはよくない。ああいう、何らかの行き過ぎ行為には、必ず、歴史は、その答えを出してきた。

また、日本国内における、いわゆる、パチンコ産業などに代表される、在日問題とか、芸能界、政治にいたるまでにおける、特殊集団の、既得権が、ほぼ、永続的になっているというのは、これも、どこか、行き過ぎている。

どうやって見ても、行き過ぎである。かといって、私は冒頭で述べた通り、0か1で判断する者ではない。

よって、行き過ぎはよくないから、ある程度にして、たまには、譲歩してくださいよ、と、そういいたいだけである。

確かに、急に成長すると、色々と、嫉妬や、軽蔑などを受けて、時に、それが、怒りに変化し、暴力と化すことがある。

それは、現実であり、既に既得権者となった人たちにすれば、恐怖であるからして、やはり、彼らは、さらに、成長を加速することによって、頂点に立とうとする。

しかし、どういうわけか、やはり、本物、でない人というのは、どこかで、頂点の近くまで来ていても、どこかで、必ず、失敗するのだ。これは、歴史が、そうだといっている。

だから、私は思うのだが、ほどほどにしておいてくれませんか?ということだ。

随分と、話がそれてしまったが、仮にこういうことが、円滑に日本国内で解決したとしても、今後100年、もしくは、明治維新それ自体の見直し、というような、壮大なスケールで、さらに考え直すという、そういうことが、今の日本には求められているような気がしてならない。

私が、前述したように、興味があるのは、明治時代に、日本の漢字学者が、西洋の概念を、いかにして、漢字にしたか、ということで、まず、それが、正しかったのか、再度、確認する必要がありそうだ。

英語および、政治経済学者、副島隆彦氏は、恐らく、最も西洋的と思われている概念である、理性(ラチオ)という言葉、たった一つについて、悩みぬいたあげく、

これは、このラチオという言葉の意味するところは、明治時代に、それを、理性と翻訳したのが、間違っていて、本当は、ラチオというのは、功利的、という意味である、というような解釈をした。

功利的、というのは、どちらが得か?損得勘定、商人の世界の言葉だが、日本では、てっきり、それは、理性というのは、サイエンスの言葉だと思って、やたらと便利なので、毎日のように使ってきたわけだが、

どうも違うらしい!と、私も思うようになってきた。大哲学者、とされる、カント、というドイツ人が、純粋理性批判、という、大著を書いたのだが、私は、はじめて、それを読んだとき、恐らく、1行も理解できないまま、なんだか、面白くない人だ、と、ただ、それだけだった。

しかし、一回、副島隆彦氏の視点にたって、理性というのは、功利的という意味である、と翻訳しなおすと、カントは、純粋(な)功利主義(の)批判、といっているのか!?

と、急に意味がわかるようになり、それが、あのドイツで生まれ、ドイツといえば、ユダヤ人商人とヒトラーの関係となると、一気に、最後までわかってしまうのである。

日本でも、日本が、功利的になっていくにつれて、昔は、もっと人情があった、というような人が増えた。

今まで、日本人のほとんどの人は、西洋人には、そういう人情がないらしい、と、思い込んできたようなところがある。

しかし、私の経験からすると、それは、絶対に間違っている。

そこで、カントは、なぜ、大哲学者なのかといえば、理性=功利主義=近代的資本主義、を、「純粋に」批判していたからなのだ。

このドイツ的伝統というのは、戦後まで続いていて、20世紀のドイツの大哲学者とされる、マックスウェーバーは、近代化を、資本主義化、と捉えながら、近代化にも2種類あって、プロテスタント的近代化と、ユダヤ人的近代化がある、とされた。

マックスウェーバー氏は、つまり、会社組織のような連帯感があるところは、プロテスタント近代であり、銀行とか、証券とか、そういう世界は、ユダヤ的であると、人種論的に、支障がないように、なんとか、まとめあげて、双方が、お互いに語り合えるような土台つくりを行った。

しかし、こういうドイツの伝統というのは、恐らく、欧州における、伝統主義というか、根本的な保守主義であり、今の、ユーロ連合は、それを体現しているとも思える。

カントの疑問は、実に最もなことであると、私は最近、痛感するようになってきた。

カントという人は、資本主義、確かに凄いけれど、本当にこれでいいのか?と、最初に言った人だったのだ。

どうも、当時の、一般的な「雰囲気」としては、「空気」というか、それは、サイエンスと、資本主義が、同じ時期に成立していったので、また、その両方が、合理的、という言葉に、ピタリと当てはまるようなものだったので、似たような「哲学分野」とされていたんではないかと思える。

そこで、恐らく、キリスト教的な、清貧主義のようなものに立ち返って、カントは、純粋に理性(功利的)を批判したのだ。

これは、先駆的な発想だったんだろうと思う。その後の、ヘーゲル、マルクス、と、後継者たちは、資本主義がもたらす、不平等について、そういった、功利主義の結論として起こる、不平等は、いかにして発生するのか?もしくは、将来、どのようになっていくのか?もしくは、不平等は、回避可能なのであるか?

と、よく見てみれば、まったく、最もな疑問を投げかけて、彼らの名前を不動のものにした。

彼らの時代背景からすれば、今まで信じてきた、宗教が、どうも完全ではないらしく、農業をやって、王様に仕えているのが、正しくなく、商売をして、それを正当化するような発想方法が、どうやら、より、自然の法則にも近いらしい、と、恐らく、頭が痛くなるくらい、悩んだんではないかとも思える。

よって、これは、一例だが、理性という言葉を、明治時代に、翻訳し間違えた可能性が高く。そういう事が、まだ、色々あるので、いまだに、日本は、どこかで、つまづいてしまうのではないか?と思える。

そういう風に考えるとしても、では、明日から、明治時代の、翻訳作業を、総点検しようとしても、無理な話で、たまに、副島隆彦氏のような、純粋な言語学者などが、今までの、勘違いとか、手違い?などを、指摘するたびに、我々?一般的日本人は、

ウーン。。今まで、かなり、、、間違って使ってたかも。。ゲゲゲ。やば。

と、影で恥ずかしい思いをして、ゆっくりと、考え方を変えていくということしかないだろう。

私が思うに、恐らく、上記のような間違いは、まだまだたくさんありそうであり、特に、宗教の問題では、
キリスト教と、イスラム教、もしくは、仏教と、ヒンズー教の関係などでは、きっと、何か、勘違いされたままになっていることが、数多くあり、

仏教の場合は、根が深くて、1000年くらい前に、間違えて翻訳されてしまった可能性もあるので、深刻である可能性もある。

しかし、これからの学者は、そういうことを踏まえて、実際はこうだったのが、中国をえて、日本に来るまでにはこうなっていて、それを、特殊な独自解釈で、勝手に教義が変わっていった、という風に説明しなければいけないと思う。

かといって、それが、日本で、勝手に教義が、変形して成長したとしても、それが、なにゆえに、そのように、変形されたのか、時代の要請だったのか?など、そういう風に、まず、原点を抑えた上で、議論することが、重要なんじゃないだろうか?

これから、100年間くらい、そういうことを、もう一度、やり直す、という決意があれば、その後の、数百年から数千年間、日本は、世界で生き残ることができるような、国であり続けることができそうに思える。

中国人は、今の境地?にいたるまで、アヘン戦争から、150年以上かかった。これは、大変な年月だ。

また、それに驚いて、色々と、やってしまったアジア諸国や、逆に、第二次大戦で、日本が、ヨーロッパ人と戦う姿に驚いて、行動を起こして、独立したのだが、なにしろ、長い間、経済などを、外国人に任せていたので、うまくいかなくなり、最終的に、アメリカの傘下に収まっている国などが、ほとんどになってしまった。

10-20年前くらいまでは、それでも、日本についていく、というような、うれしい声も聞こえたが、最近の李登輝氏などを見ても、なんとなく無理矢理な石原都知事を見ても、どうも、ダメだ。

この辺のアジアのソフトパワー的な勢力バランスというのは、今後、ますます中国優位になりそうなのは、明らかそうだが、果たして、台湾の逆転なんていうことはありえるのだろうか?

何しろ、アメリカと中国がピッタリとくっついていて、それに、オーストラリアを含む、周辺国が、追随しようとしているんだから、どうにもしようがない。

もしかしたら、一番きついのは、韓国である可能性が高い。北朝鮮は、きついのは、分かりきっていることだが、今の状態を、感情を抑えて、見ると、一番大変なのは、韓国かもしれない。

右も、左も、誰も助けてくれない。しかも、自分で、外交しようとすると、邪魔される。仕方がないので、日本を批判して、何とかごまかす。これが、今の韓国大統領のやっていることだ。

中国と日本の板挟みになって、勝てる国など、まず、ありえそうにない。

この、朝鮮半島問題も含めて、やっぱり、今後100年くらいかけて、もう一度、やり直し、仕切りなおし、するしかない。

逆説的に考えると、こんなことを、私如きが、考えるようになったのも、あの、教科書問題、といわれている、あれ以降だ。

私の直感では、中国の本音は、「これから1000年耐えることができるような、新しい方法はないか?」であって、日本の戦争責任とかではない。

本当に困っているところを、助けてあげて、初めて感謝されるというが、今、日本、中国、朝鮮半島、相互に、困っている。本当に困っている。

中国、韓国は、いわゆる、後に引けない状態になっている、とも考えられる。

答えは見えているように思えるのだが、どういうわけか、感情というのが、襲ってくる。

続く。。
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