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京都の堀川高校という学校が、急に国立大学や、京都大学へ合格する人が、10倍くらい激増したということで、そこの高校の校長先生が、NHKのプロフェッショナル、という番組で紹介されていた。



実に興味深いと思ったのは、探究科、という科目があることで、そこで、生徒たちが、実に素直な観点から、研究テーマのようなことを選び、研究の方法などがわからない場合は、直接、専門家に教えてもらうとか、そういうことをやっているうちに、無理矢理、暗記する知識ではなくて、いわば、体で覚えた知識のようなものが、自然と増えていき、その結果、さらに知りたいと思うがゆえに、自然と、他の分野まで、知識を増やそうとして、結果的に、総合学力が、飛躍的に向上して、奇跡の公立高校と言われているそうだ。



こういう番組は実に良いと思えた。



ああいう、高校生くらいのときの、感性というのは、最も、敏感で、恐らく、大人よりも頭が良いので、かなり、画期的な発想が、パッと浮かんだりすることがあるので、ああいう時期に、研究テーマを持てるというのは、かなり、画期的である可能性が高い。



ああいう教育が行われていれば、創造力がある国として、かなりの確率で生き残れるんじゃないかと思えた。



ただ、恐らく、あの学校は、もともとのレベルが高いんじゃないかとも思えたが、あらゆるレベルの学校でも、適応可能に思える。



ああいうものは、江戸時代の蘭学塾とか、寺小屋の延長線のようなところにあるもので、恐らく、好奇心が元来強い日本ならでは、であり、恐らく、日本でこそ、うまくいくような気がする。



最近、面白いと思っているのは、日本の数学者や物理学者の功績で、世界的なレベルにある成果が、意外なことに、戦時中に、その多くがアイディアとして、出てきていることが多いということであり、閉鎖されているからこそ、自分で、色々と、それこそ、独房の中で、考えるほかなくなるというような具合で、その結果として、かなりの量の、数学的、物理学的な業績が、戦時中に考えだされているのである。



これは、間違いない事実であり、ノーベル賞の朝永氏とか、確率論の伊藤氏とか、多様体とか層のさきがけとなる、岡潔氏、など、また、戦後、世界を制することとなる、日本的な産業技術とか、産業体制というのも、戦時中の産物であり、また、日本の高度経済成長を影で支えた、持合い株式制度も、戦時中の発明だった。



これは、何も日本だけでなく、アメリカ側でも、日本軍に天然ゴムの生産地であったマレーシアを占領されたので、タイヤを作るために、ゴムがなくなって、人口ゴムが、開発されたり、また、南方戦線で、ジャングルで、蚊に刺されてマラリアなどになるのをふせぐために、スプレー(あの缶にノズルがついたスプレー、あれ)が、発明されたり、また、特攻隊の攻撃を防ぐために、近接信管という画期的なミサイル技術も発明された(これさえなければ、特攻攻撃は相当な戦果が上がっていたはず、だと思える)。



また、大正時代、第一次大戦が、始まるまでは、日本の西洋技術は、輸入製品が多かったらしい。しかし、第一次大戦が起こると、急に、輸入品が手に入らなくなり、



突然、国産のニーズが増えた。



ここが、起点となって、日本の国産技術が、急激に増大するのである。日露戦争のときの、日本海軍の戦艦は、9割以上が、外国産だったようだが、第二次大戦の時点では、飛行機から、戦艦まで、すべて、国産だった。



これは、相当な飛躍であり、かなり、見逃されがちな、日本国内的な、大転換だったといえそうだ。



つまり、明治時代は、おもに輸入だったわけだ。技術=輸入、だったわけだ。



ところが、大正、昭和初期になると、国産が出てきて、戦争中などは、国産以外はなかったわけで、その、自立意識が、日本を、戦後、そういう意味で、勇敢にしていたのだが、これが、気づかないうちに、そうなっていたようなところがあるといえそうだ。



この、大正国産主義というのは、大変重要なことであり、これからもっともっと、強調されるべきだ。



ちなみに、岡潔という、数学者も、第一次大戦で、フランスとの連絡網が、切れると、自分で考えるしかなくなり(おそらく、それまでは、向こうの人達と、意見交換とか、教えを請うようなことをしていたんだと思える)、それで、自分なりにテーマを考えて、それが、岡潔数学へのつながったと思える。



そういう、ある種の精神的鎖国状態に追い込まれると、人間は、どうも、かなりの創造性を発揮するようだ。



ソ連では、これは、極端だが、技術者を、強制収容所のようなところに監禁して、研究をさせたこともあるらしい。その時代の遺産が、ソ連の航空技術や、ミサイル技術を産んだとも言われているそうだ。



そこまですると、本来の、自由にさせておくからこそ、発生する、純粋な発明精神が失われるというのがあると思える。



しかし、火薬の発明も、不老不死の研究から出てきたとか、化学も、錬金術から生まれたとか、そういう、何かしら、閉じた空間にいる人が、大飛躍の原因を創ってきた、という、それが大事なんじゃないかと思える。



天才は、非常に細かい神経を持っていると思える。数学者とかは、特にそうだ。



そういう人を、大事にするような、道徳心が高い社会があれば、そういう革新は起こるのだが、なかなか、景気が良くならないと、そういう理想的な環境は生まれない。



ただ、外部から隔離される、精神的な意味で、隔離されると、とんでもない飛躍が起こることがあるというのが、どうも、ありえそうだ。



その辺が、どうなのか?よくわからないが、



そうだった、高校の話をしていたのだった。あの高校では、なんというか、そういう、ある種、理想的な、何らかの環境が実現されており、それが、とにかく、素晴らしいんだ、ということを言いたかったんだが、



それに偉い先生でも納得するような、普遍性を持たせたかったので、色々な歴史的な出来事を書かざるをえないという風に、私には感じられたわけだが、



そういう環境というのは、壊れやすくて、ちょっとした政治論争などの結果、せっかくでようとしていた芽が、出なくなってしまうという悲劇が、かなりのケースで、ありえる。



もしくは、何かしらの出来事が、そういった創造性の高い人間のプライドを傷つけてしまったりなどの理由で、飛躍が起こらなかったとか、そういうこともありえる。



そういうことを、可能にするのは、恐らく、高い道徳心だ。しかし、道徳心が芽生えるには、ある程度の経済的な豊かさがないといけない。



しかし、それでも、道徳心が大事だというような社会教育が、やはり大事なんだろうと思えてきた。



それと、同時に、何かしらの、閉じた空間で、追い込まれるというか、自分で、あまった材料で、料理せざるをえない、でなければ、食べるものがなくて、死んでしまう、というような、極限に、、ちょっと極端だと思うが、そういう極限に近い状態になると、きっと、何かが生まれてくる。



それは、ある種、特殊環境における人間の生き方の方法論であり、普段は、そんな特殊な環境に置かれることはないけども、仮におかれるような状態と似た環境では、そういう新しい方法論が役立つというようなことがあり、それが、いわゆる発明となって、現れる。



そんな感じだ。
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