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何か急にひらめいた。
諸葛孔明は、相手を怒らせることによって、よく、敵を倒した。
孫子は、相手の「勢い」を、段々と減らすことによって、敵を弱らせ、倒した。

古代中国では、属国を支配する場合、「離間の策」といって、属国たる国に、内部分裂を起こさせることによって、その、反逆する「勢い」を、「分散させ」、そして、「疲れさせる」ことによって、その野望をくじいた。

近代においても、ロシア人は、ナポレオンと、ヒトラーに攻め込まれたが、なんと、ロシア人は、逃げた。そして、しばらくの間、ロシアの寒い冬の中に、放置した。すると、ナポレオンも、ヒトラーも、あまりの寒さに、帰っていった。

孫子の兵法や、兵法書には、敵の「勢い」をそぐことが、最も重要であるとも述べている。

勢いは恐ろしいもので、勢いで世界を支配したモンゴルなどもいるが、勢いをそぐことこそ、最後に勝ち残るための、いわば、大人の勝ち方、といえるのかもしれない。

そこで、この考え方を、いわゆる、属国支配というような方法論、属国支配に関与する、情報将校の役目と、いうような分野に応用すると、

情報将校の役目は、

属国の反逆の「勢い」をそぐこと。に尽きるのではないか?

と思える。そのための方法として、

「疲れさせる」

のが大事だ。そのためには、
「怒らせる」
「内輪の喧嘩をさせる」

などがありえ、そういう事が起きるような、伏線を張ったり、プロパガンダ(最近では、バラエティ番組からコメディまで含むと思われる)を行ったりする。

すると、自然と、属国たる国は、内部的な「一時の勢い」がなくなっていき、疲労し、

「困惑し」
「絶望する」

となると、支配しようとしなくても、属国自らが、服従してくる。というようなことは、帝国たる国の高みからだと見えるのだが、恐らく、操作される側からすると、感情的になっていて、見えないのだ。

それで、帝国の望むとおり、「絶望し」、「怒り」、「内輪もめし」、「勢いをなくす」 のである。

情報将校たる人がやるべきことは、そのような雰囲気になるような、諸葛孔明がやるような、相手をわざと、怒らせるとか、そういうことを、色々と仕掛けるんだろう。

諸葛孔明の、最も恐ろしいと思える兵法は、わざと負けるという方法で、南方の蛮族を平定する際、諸葛孔明は、将校に、わざと10回負けるようにいった。諸葛孔明の兵法が失敗したことがなかったので、言うとおりに将校は、それを行った。しかるのち、最も危険な地域に、敵軍を、集め、そこに、なんと、3世紀だというのに、竹筒の中に、火薬を含めて、爆発させた、といわれている。

火薬の歴史という意味では、これは、本当だとすると、凄いことなんだが、それは、別として、わざと、相手に勢いをつかせて、そろそろ疲れてきたところを、たたく、というのも、ありえるわけだ。

こういうのが、いわば、大人の兵法、ではないだろうか?とも思える。

しかし、属国たる国で、こういう情報操作をやられると、属国たる劣等感などがある場合は、特に、まんまと、相手の計略に引っかかってしまう。

たまに、そういう情報将校たる人間は、相手の様子を必死になって探ろうとする。そういう場合、実は、ポーカーフェイスでいることが、最も有効である可能性がある。

怒ったり、内輪もめしたり、とか、そういうのは、たとえばだが、日本人は、韓国人を怒らせたりするのは、2ちゃんねるなどを見る限り、実にうまいようだが、逆に、やられる立場になると、見事に引っかかっている場合も多々、見られると思える。

意外と、学歴や、地位が高い人などが引っかかりやすかったりもするという点では、諸葛孔明の時代から、進歩していないともいえるが、

このトリックは、つまり、やられる側であると、それが見えない場合があるという点だ。ここが、恐ろしい。

やる側であると、それが、面白いほど見えるのだが、

さらに、最近では、そういう伏線や、本線の情報が、バラエティ番組、コマーシャル、インターネット、スポーツ新聞、映画、コメディなど、特に、コメディなんかは、知らず知らずのうちに、相手の精神的誘導に、引っかかってしまう場合があり、こういう分野の情報将校合戦は、職人芸の域に達している。

アメリカ、ロシア、中国などは、こういうことが、うまいと同時に、大好きでもある。イギリス人も、そういうのが好きな国民だ。

これに対し、日本は、こういうのが、大嫌いな国民であると思える。たまに、そういう意味で、イギリスなどの国は、わざと、テストするかのような、仕掛けを日本人に試すというような、かなり高度な情報戦を仕掛けてくるような気がするのだが、

こういうのは、職人芸を超えて、天才の世界といっていいと思うが、日本は、そういう遊びがないどころか、大嫌いなので、それを、そういう性質を、逆にからかってやろう、というような、恐ろしく凝った性質のものが作られたりするわけだが、

この辺を、どうやって、かわすか、途方もなく、恐ろしいほど大変だが、基本に忠実であると、こういう世界に、飲み込まれなくて済む。

はやりもの、に、ついていきやすい人とか、依存症になりやすい人などは、こういう世界に、知らないうちに、足をつっこんでいる。

しかし、この文章自体が、果たして理解可能なのか、そこが問題でもある。これは、相当、難しいことなはずなんだが。どうなんだろうか。。
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