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近代においての、国際的な友好関係、というのを、どうも、私も含め、日本は、あまく見すぎているのではないか?



ということに気づいた。



たとえば、天皇制でさえ、危うかった、敗戦国日本を経済的な意味も含めて救ったのは、冷戦構造下における、日米同盟である。



これは、大変な意味を持つことで、明治後半における、日英同盟も同じであり、こういった、国際的友好関係、というのは、本当に意味があるのだ、ということが、わからない人が多そうに見える。



いわゆる、地政学というのは、主に、本当に利害関係を含んだ相互関係を意味するのだが、それが、口先だけの、友好などといったことしか、戦後日本では、吉田茂以外は、やってこなかったので、



いわゆる、冷戦終結後の、アメリカ一極体制(グローバリズムといわれるようになった)になると、とたんに、日本は大不況になった。これは、日本が、冷戦時代に存在した、日米同盟というものが、国際関係で、どれほど、経済的利益が大きかったかを、ほとんど、理解していなかったために、起こったと思える。



この点で、私が最近関心したのは、80年代中盤に、ドイツが、すでに冷戦終結を前にして、アメリカ国債を買わないとか、アメリカからの輸入を10%シェアくらいまで認める、など、すでに、まるで、冷戦終結を見越したような、脱アメリカ依存、そして、将来の、ユーロ誕生への布石を打っていたかのごとしであり、そういう意味では、当時、アメリカに輸出しまくって、ナンバーワンなどと言われて有頂天になっていた日本とは大違いである。



また、戦前では、日英同盟というのが、どれほど、重大であったかを、大正時代的な、ナショナリズムは、理解できなかったとも考えられる。



同盟というのは、万が一、こちらが困っている場合、そちらでやってもらう、というような関係でもあり、こちらが不得意なところは、そちらでやってもらう、というような、相互に得しあう、WIN-WIN関係なのだが、



これが、どうも、近代以降の日本、いや、日本の歴史において、海外に対しては、実質的に鎖国だったので、理解できないのではないか?と思える。



中国の歴史や、ユーラシア、欧州の歴史では、同盟関係というのは、途方もなく重要なことであり、たとえば、中国の歴史では、2000年くらい前から、すでに、本来ならば、敵であるはずの、北方民族と組んで、覇者となるというような、戦略を用いるのは、常識的でもあった。



ロシアという国は、そういう意味では、冷戦時代から、かなり多角的に、色々な同盟関係をつくって、なんとか同じく、多角的同盟関係を作り上げていたアメリカと同様に、そういった関係が、いざというときに、まるで、囲碁で、布石を、離れたところに置いておいたのが、後から急に勝負を決めることになるかのごとく、



大変、重要なことなのである。ところが、これが、どうも、私も、そうなんだが、日本的には、わかりにくいようなところがあって、日本の歴史で、そういうことができた人がいたとすれば、徳川家康くらいだったかもしれない。秀吉でさえ、そこまで、複雑な、同時多角的な戦略を考えてなかったと思える。しかし、伊達正宗だけは、どうやら、そういうことがわかっていたらしく、伊達正宗の場合はスペインと組もうとしたというのが、実に変わっていた。とても、あの時代の人間とは思えない。ちなみに、南蛮人の奥さんが一人いたらしいとの説もある。



薩長同盟を結んだとされる、坂本竜馬が、なんだかんだ、言われても、結局、注目され続けるのは、同盟というのが、いかに重要か?ということを、それがわからない、日本に教える良い教材だからだろう。



それを、甘く見ている典型的日本人は、今は、どうも、こうなってるらしいから、今のところ、おべっか、ごますり、でもしておけばいい、くらいにしか、同盟関係というのを、考えていないのではないか?とも思える。



つまり、鎖国的島国感覚として、どっちみち、隣近所、という、なれあい感覚が、強いわけで、絶対的なものとしての、同盟関係、というのが、理解できないようだ。



かくいう私も、同じように、それが、なかなか、感覚的にわからないでいる。



1997年に、アメリカが中国を、最恵国待遇国にした、ということは、まさしく、米中同盟が、成立した、ということなのだが、これが、当時のメディア、もしくは、現在のメディアにおいても、もしくは、最先端の言論人でさえ、その重大さが、少しもわかっていないのではないか?と思える人が多い。



それは、今でも続いていると考えたほうがいい。



私が尊敬し、参考にさせてもらっている、ロシア在住のロシア政治経済ジャーナルメールマガジンの北野氏が、大変、面白いことを言い始めている。



今までは、あまりにもひどい、アメリカ一極支配に対抗してきた、ロシア、中国、欧州、アラブなどの、隠れた同盟があった(特に、ロシア中国同盟は中心的)のだが、



そのロシアが、中国をおびえはじめ、インドと仲良くしようとしている、ということで、さっそく、その実例として、中国が欲しがっていた、次世代戦闘機技術のインドへの輸出の決定、2009年までに、インドとロシアで、ステルス戦闘機の共同開発などを、決定したらしい。



となると、新しい同盟として、ロシアーインド同盟が、発動しはじめており、これは、アメリカや日本などにも、敵視され始めている中国からすると、悪夢でもある。



もっぱら、最近の中国は、欧米を嫌う、中東、アフリカと、さかんにビジネスを行い、独自路線を、進んでいる。いわば、中国アラブ・アフリカ同盟だ。



こういう地域での日本の重工業などの受注は、非常に少なくなる傾向にあるようだが、これこそ、同盟というのが、本当に経済的にも意味があるという典型例だが、



どうも、有史以来、ずっと鎖国的島国であった日本には、日本人の心には、そのような、まるで、命をともにするといったような、同盟、という発想が、どうしても、思い浮かばない。



しかし、同じ島国でも、常に新手のバイキングに侵略され続けたイギリスは、そういう意味では、生き残る方法として、大陸の別の国家と同盟を結ぶというような方法や、もしくは、イギリスに次の侵略者が入ってこないように、大陸の国家同士を争わせるというような方法論をあみだした。



大陸では、中国の歴史が良い例だが、いつ、誰に、ある日突然、占領されるか、わからない。なので、同盟というのは、本当に意味があるのである。



この間隔を、数千年間、培ってきた中国は、軍事的に圧倒的に劣勢だったと思われるが、日本軍を、打ち破るために、遠く、アメリカに、同盟を求めた。これは、当時の、中国の大財閥であった、一族が、全てをかけて、決死の覚悟で行った一大メディアキャンペーンだったが、ついに、アメリカも、本来は、それほど、敵視してなかった日本を、ナチスドイツと同じように考えるまでにしてしまった。



これこそは、同盟効果であるが、どうも、日本の一流の歴史学者とか言論人を見ても、このような視点で、第二次大戦を論じる人があまりいないように思える。



世界の普通の国は、必ず、同盟関係を、どこかで、つないでおり、同盟を破棄したり、色々なことをやっている。しかし、冷戦中の日本では、そんなことは、いっさい考える必要がなくなり、誰も、そういう多角的な見方ができる人がいなくなってしまった。



一方、戦前の日本は、そういう意味では、驚くほど、考えすぎではないかと思えるような、戦略家が多くいて、おそらく、考えすぎて、ドイツと同盟を組んでしまって、失敗してしまったのだ。



これも、おそらく、その前の時代の、日英同盟が、あまりにも心地よかったために、精神的にどうだったか別として、それほど、考えなくて済む、というような意味では、ここちがよかったと思え、



それに慣れすぎた後に、大正バブルで調子にのって、昭和恐慌で、突然ダメになって、無理矢理、中国へ進出するという、滅亡への道を歩むわけだが、



今の日本でもそうだが、当時、日英同盟がなくなった後でも、イギリスにすがろうとしていた人もいたようだ、実は、吉田茂という人は、そういう人だったんじゃないかと思うことがないでもない。チャーチルの、ベルリンの壁の演説を最も、適切に理解したのが、きっと、吉田茂だったんだと思える。



孫である、麻生氏によると、アメリカ留学した麻生氏のアメリカ英語が、イギリス英語が得意だった、吉田茂おじいさんには、耐えられなかったそうだ。



このエピソードは、実に象徴的である。



これだけ、色々言いながら、では、日本は、どういう風にすればいいのか?と言われても私にはやはり、わからない。カナダなどと組むとか、イギリスと、もう一回、日英同盟(この場合、エリザベス女王が描かれている紙幣を使う、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどを含む)というようなところが、正解なのかもしれないとも思えるのだが、



ロシアが、インドと同盟することの意味は、と考えると、非常にいやな予感がするのである。なにか、囲碁でいうと、嫌なところに、布石されたと、そんな気がして仕方がないのである。



アメリカからすれば、ロシア中国同盟ほど、迷惑な同盟はなかったと思うが、これは、日本からすれば、米中同盟ほど、やっかりな存在はないのと似ている。



そういう意味で、地政学というよりも、同盟学?が、今の日本では、求められていると考えられるが、そういう発想法ができる人が、ほとんどいない。



属国になるか、独立自尊になるか?他国を併合するか?くらいしか、日本の歴史にはヒントがない。あるとすれば、日英同盟、日米同盟くらいだ。



あえて、無理をすれば、朝鮮半島三国時代の、百済との同盟もあるかもしれないが、百済は、唐と同盟を組んだ、新羅に滅ぼされてしまった。そして、本来だったら、一番強かったはずの、高句麗は、新羅と、唐に挟まれて、滅亡してしまった。



こういった歴史が、実感できない日本は、朝鮮戦争でさえ、理解するのが、かなり困難である。



あの戦争の場合は、重要な点は、同盟という意味では、韓国アメリカ同盟は、わかりやすいが、北朝鮮が、ロシアと中国を天秤にかけたところが、難しいのである。



こういう、ずるさ?が、日本には、どうしても、わからないようなところがあって、実直で、職人気質で、単刀直入を好む日本にとって、日本史的にいうと、



家康よりも、信長の方が、わかりやすく、さらにいえば、秀吉はもっとわかりやすい、ということになる。



その秀吉も、明との同盟を組んだ李氏朝鮮に負けてしまった。



問題は、負けないためには、どうすべきか?であるのだが、勝つべきに同盟を結ぶというのは、おそらく、戦略的ではない。



負けないために、同盟を結ぶという意味では、最近、日本の企業が、生き残りをかけて、世界の資源国に、進出したり、友好関係を結んだりしているのは、正しそうに見える。



しかし、そういう発想は、そういう企業戦士ならば、わからざるをえないが、先端的な言論人でさえ、なかなか、そういう発想が、歴史的な資料が少ないので、民族歴史的な、DNAに刷り込まれていないので、理解するのが困難であり、



できれば、鎖国して、ひきこもっていた方が楽だ。



となってしまっているのが現状かもしれない。そんな大人を見て、若い人も同じことをやっている。



それが、本当の日本の病理かもしれない。

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