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アラブのことわざに、無秩序よりも、独裁のほうがマシだ。というような言葉があるという。



思うに、中東のような、途方もなく激しい戦乱を生き抜いてきた人々にとっては、それこそ、真実というか、現実なんだろう。



今のイラクと、独裁時代のイラクとどっちがいいか。

崩壊後のソ連とプーチン独裁のロシアのどっちがいいか。



いわゆる、無法者、マフィア、やくざ、などは、資本主義の兄弟のようなものであると、いつの日か、学問的研究がなされるんではないかと思える。



資本主義、民主主義だけでは、法律があっても、破る人が必ず出てくる場合があるからだ。これは、その国の道徳レベルにかかっているが、道徳レベルの低い国もしくは、統一された経験がない、もともと、無法地帯であるほうが普通である地域などは、民主主義や資本主義などを導入すると、かえって、無法者、マフィア、やくざが、はびこる、地獄絵図のような、腐敗した、退廃した世界になることが多々ある。



世界的な麻薬組織とか、人身売買などの連中が、そういう国に、ここぞとばかり入ってくる。



これが、資本主義、民主主義の現実だ。



しかし、共産主義がいいかというと、それも、もう、ある程度は実験済みであるわけだが、今のところ、資本主義のほうがいいという結論になっている。



中国の最近の面白さは、それを両立しようという国家方針であるということだが、日本の戦後というのは、実は、都市は資本主義、地方は共産主義だった、という話があって、全くそのとおりだという話がある。



恐らく、自動車ではないが、ハイブリッドがいいんではないかと思えるが、問題は、やはり、独裁のみが、無法者や、マフィア、やくざ的な、戦争よりは平和的だが、毎日を支配されるという意味では、軍隊よりやっかいな、無法者が、必ず現れる。



いわゆる資本主義的な超自由主義は、ときに、経済的なテロリストともいうべき、獰猛な存在をいとも簡単に出現させてしまい、場合によっては、そのような存在によって、1国が滅ぼされ、国全体が無法地帯になるとか、文化が失われたり、内戦になったりする、というようなことが、数多く起こっている。



商売が大国そして、文明をも破壊してしまった、最たる例は、アヘン戦争である。中国は日本の侵略問題については、途方もなくしつこいが、イギリスのアヘン戦争については、いくらしつこくても、足りないくらい、しつこくするべきではないのだろうか?



ただ、あのアヘン戦争によって、中国人は、西洋人を、日本人ほど安易に信用しない癖がついたので、そういう意味では、日本人より、賢いかもしれない。



が、たまに、西洋人を信頼したほうが、うまくいく場合もあるので、そこはどちらともいえまい。



日本と中国はお互いに、監視し合い、お互いに、どうやって、この西洋人という、アジア荒らし達とつきあっていくのか、その方法論を、共に研究すべきだろうと思う。朝鮮半島の人も、長い歴史で、大国にはさまれるというのは、どういうことか、朝鮮戦争もそうだったが、そういうときの知恵のようなものをアジアに提供できるんではないかとも思える。



アメリカにおけるマフィアの歴史は象徴的だ。後発移民であるイタリア人、ユダヤ人、アイルランド人などが、狭いニューヨークに暮らしていたわけだが、新参者で、差別されるし、仕事はもらえない。そこで、マフィア稼業に手を染めるしかなかった、と考えるのが、適当だと思える。



マフィア的な方法論というのは、イジメの方法論と似ていると思える。何か資本主義には、そういった集団を認めてしまう隙間がある。



マフィア的な要素とは、要するに、マフィアでない人から、横取りする、ということに尽きるが、そこには、そうせざるをえないように、その人たちを仕向ける何かがあると同時に、そういう集団の存在を許してしまうか、見逃してしまうか、報告されない限り見えない。



そして、大抵の場合、それは、報告されない。イジメ問題も同じだ。



国際的な政治というのは、段々と、裏の裏を読むような、マフィア的な要素が増えているように見える。これは、エスカレートする一方で、どうしようもなくなっている。



しかし、これが、資本主義的な民主主義の結果であり、逃れられないのかもしれない。



普通人は、マフィアが恐くて、近寄らないか、マフィアが弱そうな人に近づいてくる。



あるマフィアが全滅しても、必ず、別のマフィアが生まれる。



はるか昔、中央アジアには、騎馬民族という、マフィアのような人たちがいて、東へ、西へ、中国や、欧州や、エジプトまで、あらゆる人々が略奪を受けた。また、戦争が起こると、どんな国でも無法地帯になるので、その間に、一財産築いたというような人もたくさんいるし、今でもいるし、昔もいただろう。



こういう問題は、どうすれば解決可能なのか、人類に残された問題だ。



しかし、イジメ問題などが、永遠になくなりそうにないように、やはり、マフィア的な問題もなくなりそうにない。



商売というものは、どこかに、本質的に、他人から奪うというような発想が、出来てしまう場合がある。



当然、独自のアイディアで、商売して、他人からマーケットシェアを奪わない、平和的な場合もある。



しかし、普通の商売人は、そんなに賢くないので、資本主義を押し付けられると、必ず、横取り的な行動に出る。中国で、出回っているコピー商品や、海賊版が、なくならないのは、その典型例だともいえる。



人類の歴史は、狩猟から始まり、遊牧という大革命(なぜか、遊牧を革命とする主張を見たことがない。私の意見では、遊牧こそは、人類の大発明である)をへて、農業という大革命が発生し、農業後の世界を文明ということになっている。遊牧していた人は、文明へ、ときに侵入し、マフィア的なものの原型を作ったとも考えられる。



農業という革命の後、商業という大革命が起きた。これは比較的新しく。仮に農業は、エジプト人が発明した、とすると、商業は、ユダヤ人もしくはフェニキア人によって発明され、発展していった、とされるかもしれない。



商業の世界でのマフィア的なものは、どの辺で発生したのかは、なかなか難しいところだが、いわゆる、海賊、アジアでは、倭寇、西洋では、カリブの海賊とか、イスラム世界では、インド洋のシンドバット的な海賊は、明らかに、農業文明国を襲ったのではなく、商業を行っている船を襲ったという意味では、かなり様相が異なっている。



近代的なマフィアは、やはり、東インド会社とか、英米植民地に集団発生した、数々の怪しげな○○商会といったような存在がはじまりで、彼らが、いっかい、裕福になって、大英帝国とか、アメリカに落ち着くと、後発のイタリア、アイルランド人などが来て、という風になってくる。



こういう問題は、いわば、資本主義の何らかの欠陥のようなもので、願わくば修復可能であってほしく、恐らく、誰も、好きでマフィアになろうという人は、いないのではないかとも思える。ただ、例外はあるだろう。



文明を襲う遊牧民、という構図は、モンゴル帝国まで終わることがなかった。しかし、どうも、モンゴルのあと、海の航路が発見される頃からか、横取り精神を持った集団は、海賊になった。



一時期、戦後の日本が、まるで、貿易をする、海賊のように報道されることもあったが、長い人類の歴史からすれば、別段、珍しいことではないだろうとも思える。



こういうことがおきるには、ルールがあって、ルールを守れば自由という考え方があって、ルールの間をすり抜けるとか、ルールが適用されないところや場所で、犯罪を起こすとか、追いかけっこが永遠と続く。



平和があまりにも長く続くと、次第に経済から政治まで、こういったマフィア的勢力に支配されるケースが歴史的に多いように思える。



そういった、腐敗しきった国家を救うのは、独裁もしくは、独裁に似た強いリーダーであったことが歴史的にも多い。



しかし、どうも、その後、強きリーダーで復興するはずだった国家は、大抵の場合、マフィア勢力に取り込まれてしまう。そして、本当の崩壊が訪れる。



そして、文明は滅びる。



それが、人類の歴史だったのではないか、と、もしかしたら、悟ってしまったか!?
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