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以前から、パイの取り合いでしかない競争経済と、そうでない競争経済があると、私は考えてきた。

たとえば、時代は、家電製品が最先端だった時代には、その奪い合いがうまい会社が業績が良かったが、時代がIT革命になると、新らしいパイができて、そこを最初に開拓した人が勝った。

これは、まるで、旧大陸では、最大の勝者であった、オスマントルコが、最終的に、新しい大陸を手に入れた、オスマントルコからすれば、いつでも倒せた可能性がある、西ヨーロッパ人が、最終的に勝ってしまったのと似ている。

残念なことに、日本的な競争原理というのは、オスマントルコ的な意味での、旧来からある、なわばり争いの域を脱したことがないと思える。

政治の世界でもおそらくそうだが、なぜ、新しいパイを作ろうという発想がないがしろにされるのか?まったく理解できないことがたまにあるように思える。

世の中は、ゼロサムゲームだという風に絶対的に信じている人がいるが、私は絶対にそうではないと思う。

新しい分野というのができれば、古い分野との棲み分けができるはずだと思える。

株式のほうのブログに、増田悦佐氏が書いた新しい本、「大阪経済 大復活」というのを紹介した。この本では、主に大阪における、私鉄のなわばり争いが、大阪の交通網を、非効率的にしているということが書いてある。

もっとも強調されているのが、梅田駅であり、梅田駅には、なんと、4社の私鉄が、それぞれ、独自の駅を持っていて、わざわざ、独自のデパートとか、デパ地下などもあるらしい。

これは、おそらく東京などとは、かなり違う可能性がある。新宿とか、東京駅には、私鉄も色々入ってくるが、別の路線に乗り換えるのは、基本的に一つの駅内で済ませる。なので、効率はいいというか、それが、当たり前だと、大抵の関東人は思うだろう。

ところが、私も一回だけ、大阪で迷った経験があるが、確かに、増田氏の説明するように、もし、梅田駅というのが、いわば、東京でいえば、

新宿 東京

梅田 難波

というような感じらしいのだが、梅田駅は、なわばり争いによって4つもあるというのだ。しかも、拠点であるにもかかわらず、相互につながっているという雰囲気はまったくなく、それぞれが4つの巨大ビルを含む駅になっているということらしい。

よって、筆者の提言は、実にシンプルであり、一つの駅にすべきだ、ということだ。

特に、阪急阪神ホールディングズとなったのだから、阪神線と、阪急線が、それぞれ独自の梅田駅を持っているというのは、おかしいので、というか、その必要性がなくなったので、駅を統合すべきだ、と述べている。

これは、私は、大阪人ではないので、わからないが、おそらく、東京的な感覚からすると、おそらく、関東人は、そんなに複雑なところは、わけがわからなくなるので、迷ってしまって、結局、わかりやすい、難波駅のほうに、どうしても、観光という意味では、いってしまう。私がそうだった。どういうわけか、そこにいた。

もし、大阪における、なわばり争いがそれほど激しいのならば、それは、おそらく、間違った競争ではないかと私は考える。

この違いは、何なのか?段々とわけがわからなくなってきた。

究極的には、これは、ロンドンとモスクワの戦いと同じような考え方であり、つまりは、資本主義(都市で発達した)と、共産主義(中国の昔の下方政策=都市の人口を強制的に田舎に移動させる、などに代表される、都市型とは反対の、全国平等主義)との戦いになるんだろうけども、

この大阪の場合の戦いというのは、どうも、その手の戦いほどひどいものではない。

これは、つまり、東京にもディズニーランドがあるから、夕張市にも遊園地を作ろうというような、ウチにもあるよ!的な世界であり、やっぱり、なわばり争いというのが、一番正しい。

ただ、同じなわばりでも、人口集中地域における、なわばり争いと、そうでない地域における、なわばり争い、というのは、決定的に違っていて、いわゆる、やくざの世界というか、そういう世界の仕組みはよくわからないけども、都市型のなわばり争いというのは、本質が違うとも思える。

しかし、マフィア的なものというのは、そもそも、都市的な意味で、効率がうまくいっていない場合に、その補足的な意味で、常に存在する、というような考え方を私は持つようになった。

有名なゴッドファーザー的なマフィアがニューヨークで誕生したのは、なぜかといえば、本来、ちゃんとした働き手として、迎えられるべきだった、イタリア人、アイルランド人、ユダヤ人などの、後発的な移民たちが、狭い、ニューヨークのマンハッタン島に閉じ込められ、しかも、職業差別を受けていた(かなりひどかったことがわかっている。就職案内では、○○求む!(アイルランド人お断り)と、書いてあったことが、はっきりとわかっている)ので、マフィア家業に手を染めるしかなかった。

しかし、幸運なことに、ウォール街が生まれ、シカゴという、なわばり、を彼らは手に入れることができた。そこで、彼らは、貧困移民生活から、一転して、金持ちマフィアとなったわけだが、今でもスポーツ界、あの辺の政界、地主、警察官なども、この子孫が多いようだが、

大阪の場合、やくざ映画がやたらと多いのが印象的だが、仮に、そういう背景もあって、大阪が、うまくまとまらないのだとすると、やっかいな話となりえそうだ。せっかく、可能性を持っているのに、人口流出が続くようでは、本末転倒なはずだ。

しかし、大阪は、30年以上、大型工場や、大型施設を建てるのを法律で禁止されてきたので、人口流出が続き、心がすさんでしまったんだろう。この30年は大きい。私はひそかに、あの、松本仁志が、大日本人、という映画を作ったのには、そういう背景があるんではないかとにらんでいる。いや、ぜひともそうであってほしいと願っている。そうでなければいけない、というくらい、私はそうであってほしい。

松本さんのインタビューなどを色々見たが、古い時代への郷愁であるとか、そういう発言が多い。非常に多い。と同時に、話のところどころに、より、面白いものが、なぜ、受けないのか、頭にくるとか、そういう、何かまるで、過去30年くらいの間、大阪が強いられてきた、田中角栄の怨念のようなものが、あの人の怒りの中に渦巻いているというような、恐ろしさがある。

松本氏の、その、大日本人というアイディアが突然降って沸いたように出てきたというのは、大阪が、田中角栄的な、「都市部から、工場や、大学など、あらゆるものを追い出すための政策」が、大阪をダメにしてしまったという、過去30年の、悪かった時代の、ちょっと前までは良かった時代があって、ちょうど、松本氏が、思春期になるころに、大阪から、急に工場がいなくなり、大学も出て行ったということになっていて、それが、なんとなく、心の中に残っていて、本人いわく、俺がギリギリ、この種の?ノスタルジー(哀愁)を持っている最後の世代かもしれん、ということらしい。

仮に私の想像が正しいとすると、大佐藤という主人公が、ウルトラマンのようにでかくなり、色々と仕事をやるらしいのだが、おそらく、それは、かつての、大 大阪 経済圏が 誇った 栄光のようなものを、かすかであるが、松本氏の世代が、ギリギリ最後のところを、覚えている、ということなんだろうと思う。

東京でいえば、それは、植木均の ニッポン一シリーズを、肌で感じた世代というのが、ギリギリ、団塊の世代の後くらいに、その、吉永小百合的な世界を記憶として、とどめていて、なんとなく、おかしいなあ、と思いながら、路頭に迷っている構図と驚くほど似ている。

しかし、ここ数年の、きしくも悪者とされている小泉内閣が通した、都市部を重要視する、いわば、逆田中角栄的法案群によって、再び、大阪、東京などの 大 都市部 が復活しはじめているそうだ。

よって、大日本人は、正しいときに出てきたのだ。

工場なども、大 工場は、大阪では禁止されてきた(信じられないかもしれないが、これが、田中角栄的法案の正体である)、なので、今、大 工場、 大 デパートが、再び解禁になり、東京などでも同じことが起こり、最初は、そんなにでかいオフィス、売れないんじゃないの?というのが、あっという間に売れてしまったとか、やはり、大 都市は、大 日本人 であるべきなのだ。

この絶妙な感覚がわかって、あんな映画を作ったとすれば、松本仁志さんは、天才に格上げ決定だ。

それが、大阪だから意味があるのだ。なぜ、では、大阪がそれほど苦しみ、東京が、大阪ほど苦しまなかったのかは、さすがに、読書の楽しみのために、ここには、書かない。増田悦佐 著 「大阪経済 大復活」

大 日本人だよ!(by 大 佐藤)

http://jp.youtube.com/watch?v=ohr2PZF3b5M

まだ見てない。必ず見に行く。頼むから、私の想像通りであってくれ。
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