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とあるアイディアが浮かんだ、

それを、一つは

1)二番煎じ問題

もうひとつは

2)本質的得意分野問題

ということにした。

最近、この、超人気がないブログについて、どうして、そうなのか、真剣に考えるために、統計を見てみた。

結局、一日に何人来たか、しかわからないのだが、それにしても、このブログに書くことを考えるために私が使っている時間に対して、訪問者が少なすぎる。悲しいくらい少ない。

だが、意外なことがわかったのだ。何と、一番、力を入れないで、そのまんま書いている、精神宗教世界のブログは、意外と、いや、かなり、コンスタントに人気があるのだ。これは、どうしてなのかな、と思って、それを考えていて、ずっと考えていて、

で結局、わかってきたのは、このブログに書くことは、僕的には、最高に難しいことであって、新発見なんだけども、どこか、二番煎じなところがあるというか、実際にそうなのだ。

精神世界の方は、二番煎じというよりか、ホントに私が、新しく思ったこと、それは、前例がない場合も多い分野なので、恐らく、好奇心がある人が、意外といるんだろう。

しかし、私が使うエネルギーからすると、こっちのブログの方がはるかに使うエネルギーは大きいのだが、結局のところ、よく、商売でいうように、お客さんはよく見ている、のだとわかった。

やっぱり、新しい、聴いたことがないようなことが書いてあると、自然と、そこが、人気が出る。すごく悔しいが、2ちゃんねる、などは、ww そういう新しいことが、どんどん、スレとして立ち上がっていくわけだから、かなうはずがない。

それでも、私は、何かできないかと、こんなことをやっているわけだが、いかんせん、ここまで訪問者が少ないと、どうしようもない。田舎で、「町おこし」をするなどといって、何とかして、人を集めようとしている、あの人たちの気持ちが少しだけわかるようになったかもしれない。

株式の方は、さすがに10年くらいやってるから、実践を伴ってもいるし、英語が重要とか、いろいろと、私にとっては有利なので、ある程度はくる。しかし、なんというか、どれだけ、魂を燃焼させているか、という意味では、このブログほど、私は努力したことがない。

でも、結局、私の述べる、政治経済系の話は、はっきりいって、二番煎じもいいところで、結局、

副島隆彦氏
増田俊夫氏
田中宇氏
北野氏(ロシア政治経済ジャーナル)

を、いろいろまとめているだけにすぎない。それも、自分にとって、彼らが書くことが都合のよいようにするために、いろいろと、二番煎じ、三番煎じ、ついには、味が出なくなるまで、もう、お湯なんじゃないか?というところまで使い切ろうとしているようなもので、なんで、そんなことをやっているのか、自分でもよくわからない。

しかし、私はまぎれもなく、途方もない時間を使って、このブログに書くべきことを考え続けている。しかし、これほどまでに、人気がないというのは、さすがに、いくら私でも無理があり、正直いって、落ち込んでいる。

まあ、そもそも、長年の宿題だった、副島隆彦氏の、百科事典のような本である、「世界覇権国家アメリカを動かす政治家と知識人たち」という本を、完全に理解してやろうと思い立ち、はじめたのが、このブログだった。

ところが、よく読んでみると、思いのほかわかりやすく、意外なほど、その、体系的な知識を吸収してしまった。最初は、あんなに体系だって書いてあるとは思わなかったので、1ページづつ、暗記して、というようなスタイルを考えていたのが、まあ、思惑違いで、逆によかったとも言える。

とすると、当初のエネルギーの行き場がなくなって、何か面白いことはないかと、あちこち探し回って面白そうなことがあると、ここに書いてきた。

が、しかし、やっぱり、そういう二番煎じは、ばれちゃうんだろうなあ、と、急に思うようになった。精神世界の方のブログは、必ず誰かが来ているようだ。どっちみち、たいした人数ではないけども、それでも、誰かがくるということは、やはり、あの世界は、自分が、実際に経験したことを書いているから、一番茶、であり、オリジナルだから、内容が、詳細でなくとも、面白いんだろう。

結局、私がネットで惹かれる情報というのも、そういうもので、何か奇抜なものはないかと、刺激的な欲求不満になっているので、面白いものを求めて、探し回っている人が、世の中には大勢いるんだろう。

そういう意味では、そういうことの宝庫のような2ちゃんねるとかには、到底、かなわないのは、当り前といえば当たり前だ。

ま、でも、どうせ、自己満足なんだから、ああいうところでいろいろいうと、いろんな邪魔が入るから、僕的には、ここで、ぼやいてるのが、一番性に合ってる。

できれば、ネットの世界での寅さんになれればいいと思ってる。

しかし、やっぱり、これではいけない、と、で、こんなことをやってるわけだが、何も思い浮かばない。

そうだった。本質的得意分野問題というタイトルだった。つまりそれは、本質的に二番煎じじゃない分野ということだ。自分が、最初に考えて、体験して、思ったことならば、好奇心というのは、自然とひかれて集まってくるらしいのだ。

そういう意味では、アメリカ人というのは、実に合理的だなと、何度も思ったことがあった。

彼らは、恐らく小学生くらいのときから、自分が何が得意なのか、ということを、懸命に探すようなところがある。社会的にも、学校教育でも、必ず、そういうことが、重要視され、おおいに誉められるような仕組みになっている。やりすぎじゃないかというくらい、誉められる。

ただ、それが、得意分野だったら、であり、やっぱり、生まれつき、得意な分野っていうのはあるわけで、普通に考えたら、その分野に進みそうなもんだが、恐らく私の理解では、日本では、憧れの職業とか、そういうのが、ある意味で、アメリカよりも許されているというか、本来は、一番得意な分野ではなく、得意じゃないけども、あこがれている分野(意外と、不得意な分野だったりする)に、わざわざ就職したりする、というようなことがあるような気がする。

アメリカ人とくにユダヤ人などは、絶対にそういうことをしない。彼らは、長い歴史の中で、生き残るには、自分が一番得意な分野で勝負しないといけないと、ほとんど、強制的に思っているようなところがある。

だから、彼らは、彼らの分野において、本質的に得意そうだというイメージがあるのだが、それは、ホントにそうなのだ。

30代半ばになって、まだ、そういうものが、わからないでいるのは、正直いって、かなり情けないとも思う。しかし、どうも、やっと、株の世界で、少しだけ成功できるようになった。ささやかだけども、昔からすれば、大成長だ。

今、私は結構儲かっている。だから、こんな余裕があるのだ。しかし、もし、儲けがなくなるような大事件が起きたら、どうしようと、毎日、毎日、恐怖におびえている。だったら、はやく利食いしてしまえばいいのに、とよく言われる。

しかし、人間の欲というのは、あらためて、恐ろしいものだ。ホントに、こんなに欲深くなれるのかと、しかし、それでも、まだ、大丈夫そうだ、と、思える限り、まだ利食いはしないつもりだ。しかし、ここからは、かなり難しくなりそうだ。

株の世界ではよく、誰でも儲かる時期とか、儲かっている人がほとんどいない時期などがある。今回の場合は、そういう、いろんな意味で、私は、先んじることができた。相場がどうやって、作られていくのか、上がってから気づくのではなく、上がる過程をじっくりと見させてもらった。

もしかしたら、これが、僕が本当に得意なことなのか?と、少しだけ思えるような、ささやかな成功が、、もし、大事件でもなければ、、、あとは、神様に任せるほかない。

株の情報では、明らかに、二番煎じの情報は、ほとんど価値がない場合が多い。でも、あれかな、政治経済でも同じなんでしょうかね。

政治経済の知識というのは、長期投資の場合の、いわば、教養のようなもので、その土台の上に株式市場が成り立っているから、すごく重要になる。人間がやることだから、精神的なことを理解する、特に、自分の精神的特徴を、きちんと理解しておくことが、間違った行動を、制限することができるようになるということにつながる。

しかし、私は、ここまで書いて、ようやく、何かが見えたような気がした。それが、世間体的に、どうなのか?人間として、正しいか、など、いろいろと、人によって、違って見えそうだが、

株式人生というのも、やっぱり、あってもいいんではないかと、少しだけ前向きに一歩前進できたような気がする。
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