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最近、ランドールという女性物理学者が、5次元という新しい次元を導入して、そこに、素粒子同士を衝突させた際に、生じる、生まれたての素粒子群が、一部消えてなくなる、というようなことを言ってるらしい。

でもって、これが、湯川秀樹氏の中間子論が発端となって、発見された、もしくは、ディラック博士の、相対論的量子力学のディラック方程式で、どういうわけか出てくる、反物質(これは実際に存在する。確認済み)と、物質が、

反物質+物質=消滅+光

というような感じで、空間の中に消滅してしまうのとは、何が違うのか?というのが、誰しも持つ疑問のようだが、どうも、ネットで調べた感じだと、そういう意味での消滅とは違うらしい。

では、そこでは、エネルギー保存の法則が守られているか?なんていうところが、恐らく、本質的に重要なんだと思うが、

エネルギー保存の法則というのは、基本的に、そういった消滅というのが、一瞬だけ、破られてもよいことになってるので(不確定性原理による)、そういう意味で、一瞬発生したものが、どこかに消滅するというようなことを言っているのか?

もし、それが新しい発見であるとすると、そこには、何かエネルギー保存の法則でも、不確定性原理でも説明がつかないような、発生と消滅が、あるということにならざるをえない。

もし、そのような「実験的事実」があるとすると、その解決法は、不確定原理の、どこがが間違っているというか、もっと、詳細にやらないといけない、という考え方か、相対論的な物質エネルギーが、保存されないような、空間的問題?ともいうべきものがある、とする、二つの考え方だろう。

おそらく、実際に、言われているように、今まででは説明のつかない消滅が起こったことが、確実に確認されたのであれば、それは、何らかの、物理法則が、今までの説明では、十分ではなかった、ということになるんだろう。

問題は、そこ、つまり、実験の部分であり、本当に、その消滅が起こったのか?であり、その消滅が、今までの理論では説明不可能なのか?であり、もし、そうならば、何か新しい説明が必要であって、それが、今のところ、5次元に消えたなんていう、ある種、無責任な説明になってるとすれば、単に話題取りとしか思えないというのが、正直なところだ。

あらゆる事柄は、たいていの場合、消滅しない。消滅する代わりに何か別の形で、生き残っており、それが、今まで考えもしなかったように、回転をしていたとか、今まで見えなかった変異が起こっていて、それが、消滅したと思われたエネルギーの行先だった、というようなことが、多くあった。

万物は流転する。

というような感じで、あるエネルギーが、別のエネルギーに置き換えられるのだが、もしかしたら、ランドールさんが言ってるのは、もっと、数学的なことなのかもしれない。

たとえば、ディラック方程式は、魔法のようだとよくいうが、確かにそうで、ディラック方程式というのは

1)特殊相対性理論
2)量子力学方程式(シュレディンガー波動方程式)

を、一緒にすると、どうなるか?という方程式だった。

これを、美学の観点のみから、ディラックさんは、それまであった、クラインゴードン方程式というのは、方程式に、2乗が入っているのが、気に入らなくて、それを、1乗だけにしたかったらしい。

そういう意味で、美学を追求した結果、そこに、反物質というのと、スピンというのが、自動的に現れたということだそうだが、この方程式を実際に、最近、色々と勉強していると、その導出仮定は、かなり、難解だ。

なぜかというと、行列式が出てくるからだ。すべて、行列になっているのだ。

行列同士を掛け算すると、どういうわけか、問題が解けてしまう。いまいちよくわからない。

ただ、行列同士で、右側と、左側が、イコールになるはずだ、という前提で、やっていくと、どうも、反物質に相当する部分と、スピンに関する部分が、自動的に出てくるようになっている。これは、魔法のようだ、と、私の物理の先生が言っていたが、私のレベルだと、それでさえ、わからない。

しかし、その、噂のランドールさんが言ってる、5次元というのが、そういう、数学的な意味で、それを導入すると、突然、方程式がエレガントになるというような話、であれば、恐らくそれは、ランドールさんではなくて、グリーンさんだったか、ブレーンとか、帯のように曲がっている宇宙で、重力子が、上の帯と、下の帯との間を、行ったり来たりしているという、あれ、の世界において、恐らく、数学的に、美しい形になるというか、

いわゆる、無限大の項が消える、とか、そういうことなんだろうと思う。

そもそも、ひも理論の特徴は、何一つ実験で証明できていないけども、無限大が、消滅する(くりこみ理論が不要になる)から、美しい。そして、物理学は美しくないといけない、という、美学が、その根拠になっている。

しかし、実際の世界では、実験などでも、使われているのは、くりこみ理論の方であって、ひも理論などは、実験で使われたことは、一度もないらしい。

今回のランドールさんの説とか、ひも理論とか、ブレーンとか、そういう世界は、そういう、一回も実験で証明さrたことがない理論に基づいて、築かれていると思われ、それが、悪いことだとは思わない。

数学的な美しさ(=くりこみ理論のような、無限大が発生しない)、という意味では、ひも理論は、美しい。私も学生時代くらいには、そう思っていたが、最近は、なにか、くりこみ理論も、味がある、と思えてきた。

アインシュタインをはじめとして、歴代、偉大な物理学者で人気者、な人は、非常に人気がない、くりこみ理論や、湯川ポテンシャルとか、素粒子とか、主に日本人物理学者が開拓したような分野を嫌う傾向がある。

それは、さすがに、被害妄想かもしれないが、少なくとも、くりこみ理論が、嫌われているのは、間違いない。

くりこみ理論では、無限大が計算上出てくるのを、ある種、計算の新しい解釈によって、消し去ってしまう、というようなことかと思う。

とすると、そんなのは、許さない、という人が、何か、人間の美学上の問題として、必ずあって、それを、根っ子の部分から、解決してしまうのが、ひも理論系の、学問だ。

何度も言うが、ひも理論が実際に実験で検証されたことは、一度足りともない。

しかし、人間が嫌う、無限大が、最初から出てこない理論なので、人気がある。

今回のランドールさんの話は、恐らく、そういう、ひも理論、という、実は日本人が考えだした(南部陽一郎)理論が、何かこう、一種のブームとして、40年近く、信仰されてきて、それだと、無限大という問題と向き合わなくてすむので、それを、最初から出ないようにする、という、逆説的にいえば、ずるいやり方でもある。

そして、7次元とか、10次元とか、今度は5次元であるとか、そういう数学的に美しく、数学的な矛盾がない方法で、それを解こうとする。

しかし、数学的に破綻していないというのは、虚数の掛け算が、破綻しないという意味だと思う。7次元とか、10次元では、虚数の数が増えると考えればいいのだが(それだけ、別々に独自の意志?で動く、独立した空間があるということ)、それは、どういうことかというと、次元を増やすということは、あるものを、観察するときに、日本から、観察する場合には、こう見えるとか、アメリカからだと、こう見えるとか、イギリスからだと、こうだ、とか、中国からだと、こうなる。というような、ことと同じであり(たぶんそう)、それが、7カ国か、6カ国協議?か・というような問題と似ていて。

おそらく、7カ国から見た結果が、一番正しそうに見えるというか、7カ国から見ると、あらゆる特性(重さ、速さ、長さ、回転、などを、一ヶ国が、それぞれ担当しているような雰囲気かな?)が、全部、今までの理論と、矛盾なく、存在できる、というようなことだと思える。

そういう意味では、解釈は2転3転して、4次元だけで行けるという人が出てきたり、3次元だけでいいとか、5次元であるとか、色々な人が出てきた。

今度は5次元で、そこに、消滅した際に、入り込むということらしい。それで、なんだか、意味もわからないまま、盛り上がっているというのが、現状なのか?

よくわからない。すぐれた物理学者は、わからないことは、わからないという。わからいけどもわかってしまった場合は、信じられない、まるで、神業だ!というように言うことが多い。

ところが、今回のには、そういう神業的なことは、どうもなさそうであり、数学的な何か美しさもなさそうだ。

ただ、発想の自由さ、という意味では、消滅しているとすると、何か実験的に、説明しやすくなる、というのであれば、話は全く変わってくる。

結局、実験的事実があれば、何でもいいから、説明がないと困るようなところがあるので、とりあえず、5次元に、消滅したんじゃないか?ということになるはずが、どうも、このランドールさんは、異様なほど自信があって、その自信の根拠は、何なのか疑いたくなるが、

くりこみ派?の人からすると、現場に一度も来たことがない、株主みたいな感じなんだろうと思える。

現場では、無限大は当たり前、そんなものが、最初からない世界なんて、想像の世界なら、まだしも、というものの、問題は、ランドールさんが主張している、消滅するのを、見た!という一言が、正しいのかどうか?であり、それは、近いうち、実験されるようだから、そこで、決まりだ。

で、実験で、実際に、今までの法則では、説明のつかない、消滅があるとすると、それは、やはり、根本的に、説明しなおさなければならず、それが、はたして、単純に、5次元に消えていってしまった、というような、ある種、単純に見える、理論でいいのか?という問題が、クローズアップされて、

いざ、実験で本当にそうだとなると、世界中の、現場の人(くりこみ派)が、いったい、どこで、計算間違いをしたのか、やっきになって、探して、誰が最初に、ミスを見つけるか、競争が始まるだろう。

もし、仮に、そういう話であるならば、最初に見つけた人、最初に見つけた国には、栄光と繁栄が待っているのかもしれない。

しかし、そんなにすごいことが

実験で、実際に、観察されたのか?

この一点だけが重要だ。今度、実験されるらしいので、それで本当になんかあるのであれば、いよいよ、無限大と、100年ぶりに、おさらば、できる、という道が示されるのかもしれない。

ただ、それが、消滅しているのか、それとも、今まで見逃していた、何らかの状態に置き換わっているのか?というのが、最大の焦点になるんじゃないかと、思えてきた。
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