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学問において、たまに、神話化現象が起こることがある。

特に数学とか、物理とか、最近では、コンピュータの基礎を作った人とかで、そういうことが起こる。

では、そういう神話化行為に、

どんなメリットがあるか?というと、以下のようなメリットがある。

1)自分はたいしたことないんだけども、自分が勉強している学問もしくは、学問世界は、こんなにすごいんだ!と、自分の凄さを語る時に役に立つ(虎の威を借る狐現象)。

2)と同時に、実際の経済的問題として、そういう自分が支持している学派みたいなものが、神話化されていると、予算などで都合がつきやすくなる、というようなメリットがある。

こういう背景から、何年もかけて、そういうことを議論し続ける、自分では、ほとんど業績がないんではないか?と疑いたくなるような人が大勢、一生懸命になってる姿は、ある種、面白くもあり、奇妙でもあるが、それが、

自分の社会的地位を高めるために、自分の属する分野を神話化する、というのが、実際に自分の社会的地位を高める。

という事実があるので、いかにも人間らしい行動であるとも思える。そういう論争というか、神学論争は、場合によっては、実際の真実の追求型になってる場合と、単なる、神話化競争である場合があって、実際の答えは全然、別のところにあったりする、なんてことが多いような気がする。

物理学の世界で良い例が、アインシュタインと、ポアンカレの問題で、ポアンカレこそは、天才の中の天才ともいうべき人だったようだが、これは、私は神話化を狙っているんじゃないといちおういっておく必要がありそうだが、

ポアンカレは、アインシュタインの業績とされる、相対性理論のような数学体系を独自に先に完成させていたようだが、どもりがはげしいなど、身体的障害があって、色々と、うまく宣伝するのが苦手だったようだ。なので、私も詳しくないのだが、どうも、ポアンカレは相当な部分で、アインシュタインに業績を奪われてしまったようだ。

しかし、私が、かすかに覚えているのは、最後に、アインシュタインが、E=mc2として、質量をエネルギーに換算した部分だけが、アインシュタインのオリジナルというような説も学校の講義で聞いたような気がする。

コンピュータの起源に関する面白い議論を、副島隆彦氏の掲示板で見たが、よくわからない。

私が知ってるのは、プログラム可能な電卓(計算機)を最初に作ったのが、インテル4004という電卓用プロセッサを作った、日本人の嶋さんという人と、一緒にそれをやった、イタリア人の人で、それ以降、現実世界で、プログラム可能な電卓=現在のコンピュータの基礎、が出来上がったんだと思う。

ところが、いわゆる、理論の世界では、どうも、そうは思われていないらしく、イギリスのチューリング(ナチスの暗号解読に成功した)が最初か、それとも、フォンノイマンが先か、ということで、「神話化論争」が2ちゃんねる、で行われているようだ。

きっと、一方を神話化すると、そっち側に属している人には、何かしらよいことがあるんだろう。

フォンノイマンで調べて自分なりにわかったのは、この人は、確実に、この人の業績と言えるのは、

行列方式の量子力学(ハイゼンブルぐ形式)

波の方程式形式の量子力学(シュレディンガー形式)

は、同じである、ということを、数学的に証明したということらしいのだが、それが、そんなにすごいことなのか?私にはわからない。なぜならば、私の理解では、こういうことだからだ。

ハイゼンブルグ形式では、行列型で、
{1,2,3,4,5,6,7,8,9,10}
のように、示してあるのを、シュレディンガーでは、おそらく
{1~10}
のように、書いてある。それが、同じである、と、そう言ってるだけにしか思えないのだが、はたして、どうなのか?

いずれにせよ、当時、この問題は重大な問題だったので、本質的な違いは上記のようなことにすぎないと思えるのだが、それが、評価されたこと自体は、胡散臭さを感じない。

ところが、そのあとの業績などでは、何か、あちこちに、胡散臭さが見られるように思える。フォンノイマンの父親が、フォンという貴族の称号を、金で買ったというエピソードに似たような、胡散臭さだ。

ただ、何か原爆に関する発明は、どうも本物らしい。だから、アメリカとしては、この人を持ち上げようと、いわば、戦争の英雄みたいな、そういう捉えられ方をしているのかもしれないとも思える。

いずれにせよ、私の理解では、いわゆるフォンノイマン型とかいわれている、要するに、

ソフトウェアが入ってる計算機

を最初に作ったのは、インテル4004を、プログラム可能な電卓として、ほとんど、設計図を一人で作っていたという、日本の嶋氏の功績だったんじゃないか、ということで、自分の中では、結論がついている。

それに関する理論を、誰が最初に提唱したか、どうかなどという問題は、私にとっては、どうでもいいことだ。
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