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私は、かなり、理屈っぽい人間で、何も決定できないで、前に進めない人間である、という風に思われることが多いような気がする。

ところが、実際には意外と、大きな意味での決定は、長期間にわたって、絶対的方針として、決定しているようなところがあって、その辺が、何か普通の場合と違うような気がする。

私が決定する場合、10年くらい、そうする。

という決定、なんだが、どうも、一般的に言われる、行動せよ!実行せよ!などの例のアレは、毎日、1つ決定する、といったような、質よりも量のような、回数が多ければいい、というような性格を持っていそうなものがおおい。

毎日、かかさず、何かをやるような人は、そういう人が多い。結果として、本人としては、自己満足的に、今日も、色々、決定して、行動した。

というようなことになっている。ある意味、幸せだ。

私の場合、決定というのは、重いもので、これから20年は、そうするとか、少なくとも300回くらいは、そうする、というような、はっきりとした決定が多い。

その辺の、クオリティというか、質の善し悪しが、それぞれのタイプであって、

スピードもあって、同時に、重みがあって、長期的な決定

を連発できる人は、天才といえるのかもしれない。天才社長みたいな人は、そんな人が多い。数百件の特許を持ってる社長さんと、お話しする機会があったが、もしくは、お仕えする機会があったが、まさに、次から次へと出てくるのだが、単発的でなく、ひとつひとつが、重たいのだ。

実例をあげると、この人の特許は、ソニー、東芝、シャープ、三洋、サムソン、LG、フィリップス、インテルなど、全員が使っている、といった具合だ。

もっとも、そういうスーパー特許は、全体のうちの10個くらいだと思うが、あの人を見て思ったのは、

決定する

ということが、社長業などにおいては、いかに重大で、大きなことなのか?ということだ。

たとえば、40億円かけて、新設備を導入する、というような「決定」を、その人は、創業10年目くらいで行うのだが、同じアイディアを持っている人でも、なかなか、あれくらいの規模の会社で、そこまで積極投資できる人はいない。しかも、当時は、バブル崩壊直後だったから、なおさらだ。

しかし、今思えば、あれがあったからこそ、あの会社の、あのスーパー特許は生まれ、世界のどのメーカーでも避けて通れない、数億レベルの特許になってるんだろう。

ああいう人と凡人が、どう違うのかと考えた場合、それは、決定力、というか

決定してしまう、強さ。のような気がしてきた。

現状を分析したり、成功例を持ち上げて、こうすればいいでしょうとか、自分の成功例を前提に、こうするといいでしょう、などという、ハウツー本的な行為というのは、意外と、誰でもとはいわないけど、できてしまうような気がする。努力すればできる。かもしれない。

しかし、ああいう、社長業の、大決断のような、会社をかけて、投資する。ああいうのは、私のような、下っ端しか経験がないものにとっては、神の領域にさえ思えたほどだったが、

意外と大きな会社だったら、2000億円くらい、損を出しても、そのまま生き延びることができたりする。
例)ソニー、東芝、・・・・・・・・・・たくさん。。

ただ、ああいう小さい会社で、40億円を投資して、失敗したら、それこそ、終わりだ。だから、僕は、かなり、こきつかわれて、給料も少なかったし、きつかったし、うらんでもいるけど、

できれば、直接、社長の元で働きたかった。私は、連結会社みたいなところで間接的に仕えていたが、なんだか、残念だ。

なんだか、変な話になってしまったが、決定は、分析に勝る、というようなことを言いたいのだが、

これほど、言うは易し、な世界はなく、そういう他人を巻き込む決断というのは、個人的な決心などとは、とてもじゃないけれど、比べることができないほど、重たいのです。

短い間でしたが、あの社長は、そういうことを私に教えてくれました。さすがに、カバン持ちとして、ニューヨークに出張などといいながら、ユダヤ人の美術商から、ロダンの彫刻とか、ピカソの絵とか、そういう世界の名作みたいのを、数千万円で買ってる姿には、何ともいえない、おかしさを感じたが、

今思うに、ああいう、一見すると、ただの成金行為みたいなところにも、やはり、4000万円もする彫刻を買うとなると、相当な決断がないとできない。

あのあと、たしか、40億円の巨大設備投資に踏み切ったはずだから、あれは、ある種の、神頼みのような、おまじない用だったんじゃないかと思える。

おそらく、毎朝、社長室で、4000万円様に向って、お祈りしていたかもしれない。そういう社長が、朝礼のときに、ペチャクチャ話している人を、いきなり首にした、というニュースには、驚いたが、

やっぱり、40億円とか、4000万円と、面と向かってつきあわないといけない人は、大変なんだろうなあ、と、思うほかない。

それくらいの緊張感がないと、特に、少数精鋭型の、日本では珍しいああいう会社では、無理なんだろうと思える。

しかし、あれから、17年くらいになるのか、最近、あの手の商品が、あちこちで出回るようになった。

数百あった特許の中でも、スーパー特許は、きっと、すごいマネーメーカーになってるんだろうな。

まあでも、あれだけきつい会社だと、10年もったら、奇跡ともいえる。それくらいきつい会社だったようだ。

私は連結会社みたいなところだったから、噂しか聞こえてこなかったが、たまに、社長が、こっちに来ると、いつも、疲れているような顔をしていて、なんだか、今思うと、当時の、色々な不満は、というか、不満は、すぐ上の上司とかに向ってはあったが、社長には、不満はなかった。

中間職で、やたらと、プライドが高いのが何人かいて、そういうのが、面倒だった。

おっと、決定の話だった。

そういう中間職っていうのは、プライドが高くて、現状分析とかは得意だけども、決定力がないし、決定権もない。だから、そういう意味での感性が、にぶってくるんだろう。話にも切れがない。

私が個人的に、大会社が嫌な理由は、決定という意味では、それほど、権限がある人が、ほとんど存在しないように見えるところだ。

大会社の利点は、なんといっても、大量に作れるところだ。だから、決定の数は、意外と少なく、行動(大量生産)はすごい量になる。

小さい会社だと逆になる。事務系の仕事の人は、そういう意味では、決定、というような世界からは、切り離されていて、なんだか宙に浮く存在になってしまうことが多そうだけども、

そういう人が人格者であるならば、その会社は、少なくとも、どんどん悪くなることはないように思える。

しかし、大成長する会社というのは、人事は、劇的でなければならず、人格者の人事担当者は、成長企業には向いていない。

大企業の人事には、人格者タイプの人間が適任であると思える。ただ、問題は、過去数十年で、そういう人が、技術音痴だったりすることがおおいので、

平社員が、発明した方法とか、製品が、まさか、将来、巨大産業になるというようなことが、理科系の先輩でさえ、予測できないので、本当の目利き(シリコンバレーなんかに、たくさんいたりする)に、技術を、安く売ってしまって、秘密にしておけば、世界を制するほどの製品でありえたのが、そういうのを、技術音痴(知らないのではなくて、理解できない)な上役がいると、大企業では、そういうのは、困った問題になりやすい。

そういう点では、新規性があり、拡大が見込まれる分野は、ちゃんと、目利きがいる、それを、

知っているのではなく

わかる

人、がいるので、中小の方がいい。あまり知られていないような、東京とかにある、小さな町工場の部品が、NASAとか、アメリカ軍で使われているなんていうのも、よくある話だが、アメリカ人は、どこから、そういう情報をかぎつけてくるのか?さすがに、英米流の、情報戦の強さには驚くばかりだが、

そういう意味では、彼らは、日本の情報部員たる、人事部とか、総務部などの人間の数百倍くらい頭がよさそうに見える場合がある。

今まで、おそらく、何百もの製品が、そうやって、本来の持ち主から、盗まれることが多かったようだ。

こういう意味で、日本の中小企業は、不幸だ。しかし、それは、創造力がある中小企業であって、よくテレビでやっているような、職人芸がある中小企業のような会社のことではない。

職人芸の中でも、発明的職人芸なものと、そうでないのがあって、その辺の目利きがいないように見える。

最近はやりの、シリコンオーディオは、フラッシュメモリというのが、音楽などを記憶しているのだが、それを発明したのは、東芝の技術者だが、当時の上司だった人が、何年か前にネットで、告白していて、

正直いって、彼の発明が、そんなにすごいものだとは、少しもわからなかった。

と、これまた、驚くほど、正直に言っているので、逆に面白いというか、気が抜けてしまいましたが、

だいたい、東芝ほどの大企業であっても、その程度なわけです。本当に先が読める人というのは、%的には、おそらく、かなり少なくて、

いわゆる、戦略家と、そうでない人の最大の違いは、

①知っている

②理解している=次にどうなるか予測できる

の違いだと思えてきた。どうも、最近、①の人が、自称コンサルタントみたいなフリをして、世の中を乱しているように思えてならない。

場合によっては、使い捨ての道具のようにしか、人材を思っていないとか、倫理的な問題も増えている。

これを是正するには、やはり、法律を元に戻す。つまり、派遣法(=これによって、多業種への派遣が可能になった。以前は例えば製造業は、派遣禁止だった)の見直しではないか?と、

しかし、それをやると、失業者が出るとか、賃金が高くなるというので、色々と、小手先の手段(例:マクドナルドの店長は、実質的に管理職でないので、残業代を払うべきという判決が下った、など)を使って、色々、ごまかそうとしているようだが、

やはり、ちゃんとした雇用形態がないと、よいものが生まれないし、ましてや、新しい産業の芽の目利きなどは、夢物語になるのかもしれない。

そうでないことを祈るけども、そういう可能性がありそうで、恐い。

決定せよ!というタイトルですが、それは、

知っている
ではなく
理解している=先がよめる

でなければいけない。そのためには、世の中のあらゆるものを、歴史として認識する必要がある。

東芝のフラッシュメモリの場合も、きっと、上司が、メモリの歴史を知っていれば、おそらく、メモリとは何か?

知っていた。

んだと思うんだが、理解していた=先が読めたか? となると、力量不足だったんだろう。

実際に、この上司は、素直な良い方のようで、上司が、これでは、部下もかわいそうですねえ、などと、素直に力量不足を認めていた。

結局、フラッシュメモリの発明者は、東芝から、数百億円だったか、数十億円を勝ち取った。と思った。

残念ながら、東芝は、おそらく、それを、理解するこはできた=先を読める、

決定することができなかった。

先に決定したのは、アメリカと韓国の会社だった。なので、シェア争いで負けたり、追い上げるのに相当苦労している。

最近、フラッシュメモリの発明者が、また新しい方法を考えたそうだ。なのに、いくら宣伝しても、日本企業は相手にしてくれないそうだ。シリコンバレーや、海外のメジャーIT企業からは、声がかかるそうだ。

これは、おそらく、文系とか、理科系の問題ではないと思う。理解力がある人が、正しいポジションにいるかどうかだ。

野球のゲームとかでいえば、ちゃんとしたコーチが、ちゃんと見てるかどうか?というようなものかもしれない。

その辺で、アメリカと日本では、構造が違うんだろう。

明治時代に、乾電池を発明した日本人がいたそうだ。それまでは、乾(かわいている)電池ではなくて、液体電池(液体な電池、こぼれたりした)だったそうだ。

しかし、誰にも相手にされず、アメリカの会社が噂を聞きつけて、大量生産して大儲けしたらしい。

昔から、明治のころから、アメリカはそういう意味では、情報戦にたけており、戦時中もそうだったし、今でもそうだ。

この違いはいったいなんなんだろうか?

それは、やはり、決定する?もしくは、決定するために必要な

理解している=先が読める
が必要であり、

受験勉強などのせいで、

知っている(けども先は読めないし、価値もわからない)

そういう、知っている病が増えてしまう。どうしても、優等生が増えると、会社がそういう、大企業病になってしまう。

そこで、おそらく必要なのは、何らかの人事革命なんだが、色々形だけは、過去10年くらいやってみたけども、ほとんど、なくなってしまったようだ。それどころか、そういう心配がない、派遣社員をこきつかっているというのが現状だ。

おかげで、株主向けの「せいせきひょう」は良くなったが、会社の価値としては、総合的な世界ランキングや、世界的シェア争いにおいても、どんどん、順位が下がっている。

私も、そういう意味では、ダメ人間だ。決定できない。現状分析ならできる。

言論人でも、売れる人と、売れない人の違いは、決定しているかどうか、

断言しているかどうか?ではないだろうか?

そんな気がしてきた。断言している人には勇気がある、というか、断言するには、勇気がいる。その勇気に、お金を払っているのである。

そういう経験が、人生で一回でもあれば、その時に感じる、責任感の重さを思い出すだろう。

となると、いわゆる、労働の対価というのは、決定もしくは、断定に対して、支払われているということになる。

なぜかといえば、一昔前の学者が言っていたように、世の中は、不確実性に満ちているからだ。

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