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洗面所では、水が蛇口から出てきて、下水に流れていきます。

19世紀の物理学と、ドイツ流の数学では、この運動を二つにわけて考えました。

1)総合的に、入ってきた水の量と、出て行った水の量

2)水が下水に流れるときに生じる渦巻きの回転の度合を量として現す

この2つによって、あのような世界を数学として表わすことができるとしたのでした。

この数学体系が最初に応用されたのが、電磁気学でした。これを、全部、超人的な能力で、まとめあげてしまったのが、イギリスのおそらく最大の知性、マックスウェルです。私の感じだと、ニュートンよりもマックスウェルの方が天才だと思う。

マックスウェルは、磁場と、電場は別々でありながら、相互作用しており、そのもっともわかりやすい例として、電場が回転していて、磁場が存在するという場合で、

上記の洗面所でいうと、電場が、回転している水で、磁場が、上から下へ流れていく総量、となり、数学的には、まったく同じ、ほんとに同じ表現になると思えます。

これを、更に宇宙論へと応用しようとしたのが、アインシュタインであり、その数学的手法を与えたのが、ポアンカレ、ミンコフスキーなどの、アインシュタインの先生たちだったわけだが、アインシュタインが、業績を、ひとり占めしてしまったということのようです。これは、第一次大戦で、冷え切っていた、ドイツとイギリスの友好関係の証という意味で、皆既日食の際に、アインシュタイン効果が宇宙でも観測されたという、イギリスメディアの一大キャンペーンだったと思えます。当時のイギリスとしては、敗戦国ドイツに、ワイマール憲法を受け入れてもらって、賠償金を支払ってもらう必要があった。そのためには、ヒトラーでさえ応援するというのが、もう一つの戦勝国アメリカの方針だった。当然、その方針は、後に見直しされるわけですが、

でもって、一般相対性理論に戻ると、今までは、

1)回転
2)入ってくる量と、出て行く量の差の空間的総額

というのを、二つの数学的表現で、表していたのですが、アインシュタインが発明したとされる、テンソル計算というのになると、今まで、別々に計算していた、回転量と、入出量差し引き総量、が、同時に計算するようになっているのです。

これは、一見すると便利ですが、いざ、計算式を見ると、失神しそうになるくらい複雑であり、たった一つの計算をするだけでも、半年くらいかかりそうな雰囲気なのです。

それまでの方法である、マックスウェルが考え出した、

回転(▽×A などと書く)

入出量差し引き総量(▽・A)などと書く

は、別々に計算する限り、それほど、死ぬほど難しい計算ではありませんでした。
ところが、アインシュタインの、テンソル計算というのは、行列式になっていて

以下の図のようになっています。
内積=入ってくる流れと、出て行く流れの、総量
外積=回転の度合(右上から、右下を引き算すると出てくる)

テンソル表現には、内積(入出量総額)と、外積(回転量)が、両方入っている。

というような図になっていますが、これは、普通の掛け算ではなく、テンソル掛け算というアインシュタインか、同時代の誰かが考えたものであり、
A○B(○の中に×が入ってるのがテンソル掛け算)=回転総量+入出量総量の総額、のようになってるわけです。これを全部計算すると、今までの方法と、まったく同じ結果になりますが、答えが、今までのように、回転と、流量ではなく、その、総合的量、として、出てきます。

よって、上の図がわかりやすいですが、洗面所でいえば、蛇口から出てくる量から、下水へ流れ出て行く総量と、下水口に向って回転しながら落ちて行く時の、回転総量の、合計が、マックスウェル時代のように、別々に計算するのではなく、一緒に計算しようとしてるわけです。

これが、実際に計算しようとすると、途方もなく面倒な、テンソル掛け算計算です。

さて、こんな計算方法を使って、アインシュタインは、何をもくろんでいたのか?私の知る限りによると、アインシュタインは、このような、斬新な、新しい計算法を使えば、宇宙における、回転と、総合的入出量の総額=回転と、出てくる量と入ってくる量といえば、後のブラックホール理論につながりますね。と、そういう発想を宇宙論につなげようとしたわけです。

ここで、アインシュタインは、「宇宙方程式」という野心的なものを作ろうとして、方程式の左側を、上記のようなテンソル掛け算にして、いわば、宇宙における、洗面所の、総合的状態を表そうとしたわけです。

そして、宇宙方程式の、右側はどうなっているかというと、ここら辺は、まだ、不勉強なので、わからないのですが、左側は、洗面所であり、右側は、その洗面所の形状(形)を表している方程式、とすると、最も、筋が通りそうな気がしてきた。きっと、そうだろう。

ここで、はじめて、一般相対性理論=宇宙の形状が、宇宙のエネルギーの総合的流れを決定する理論、が登場するわけです。

洗面所と同じで、洗面所の形状が違っていれば、下水口に流れて行く水は、回転しないかもしれません。また、洗面所の大きさが大きい場合と、小さい場合は、それぞれ、宇宙方程式の左側(流れ方を記述する)が、異なってくるかもしれません。

ここで、この壮大な方程式を使いこなした達人的職人が、何人か出てきたのが、1940~1960年くらいであり、その中で、ほとんどの人が、この難しい計算に夢中になって、計算ばかりしていたのに対して、インド人の大物理学者である、チャンドラセーカールは、実際に宇宙に存在する奇妙な天体を観察して、というか、もし、この、アインシュタインの宇宙方程式が、本当ならば、最高に極端な場合として、ブラックホールになるのは、いいとして、では、太陽とか、惑星と、ブラックホールになるまでの、中間体みたいのはないか?と、考え、

今では当たり前になった、超新星とか、中性子星とか、赤色巨星とか、そういう、ブラックホールになる前の状態、いわば、

太陽>ブラックホール の間にある、あらゆる形態、について、インド人チャンドラセーカーは、まるで、ヒンズー教の神々が、別の神に変身するような凄い勢いで、次々と、新しい星を予言し、それが、次々と実際の宇宙で発見され、いちやく、現実的な意味での、物理学世界のヒーローとなりました。チャンどらせーか~の教え子には、後に、湯川秀樹-朝永振一郎などが、構築した核力物理学の、総合的な論理体系である、ヤンミルズ場を提唱する、ヤンなどがいたそうで、チャンドラセーカーと、日本の南部洋一郎(質量とは、何かを解明した。南部理論によると、本来は、全ての質量はゼロなのだが、宇宙が、傾いている、ために、質量が誕生した)、この二人が、第二次大戦後の、物理学の英雄であるべきである。

そして、では?日本には、宇宙方程式byアインシュタイン、に関して、何か業績を残した人は誰もいなかったの?となると、これが、最近、某過激な言論人が、目の敵にしているらしい、東大の佐藤教授という人だ。

この人は、私の理解によれば、洗面所の例でいうと、式の左側は、回転とか、流量の総計を意味するが、式の右側は、洗面所の形を意味する。

よって、宇宙の形が、宇宙でのエネルギーや天体の動きを決定する=一般相対性理論、なわけだが、佐藤教授が、考えたのは、はたして、この、宇宙方程式の、右側部分(宇宙の形状)は、不変なのか?

ということだったようだ。洗面所でいえば、洗面器の形状は、ずっと同じなのか?もし、リフォームしたら、回転とか、流量などが変化するのは間違いないが、リフォームなどしなくても、自然と、いつのまにか、洗面所が巨大化するなんていうことは、ありえないのか?というような問いだったんだと、その理論の名前からして、そうじゃないかと思っています。名づけて、インフレーション宇宙論であり、

最初にアインシュタインが、宇宙方程式を書いたときは、形状を意味する方程式の右側は、変化しない、定常である、としていました。しかし、オリジナルの方程式では、変化できるようになっていたので、わざわざ、変化しないように、新しい定常係数だったか?=宇宙は膨張しない論、としてきたわけです。

ところが、本当にそうだろうか?というのは、たまに話題になることがあっても、大きな話題にはならなかったようです。私の理解では、東大の佐藤教授は、それを、いや、定常係数なんていうのは、いらなくて、膨張し続けるという、最初の方程式でいいんだ=インフレーション宇宙論。 を述べて、これが、

膨張する宇宙を前提とした大理論=ビックバン宇宙論

につながっていくんではないか?と思えるわけです。もし、私が考えているようなことが、佐藤教授の業績であるとすると、なんで、某言論人さんは、この人を目の敵にしているのか?よくわからない。

ただし、このような偉業かもしれない理論を作ってしまった佐藤氏は、本来であれば、やらなくていいことまで、やるというような、国際的組織に、とりこまれてしまっていて、物理学の世界の著作権問題などで、いわば、どこの世界でもそうですが、一番乗りは、誰だったか?というような、派閥闘争があるわけで、

そういう意味で、もしかすると、某言論人が、名指しで非難したくなるほどの、著作権問題的な、非愛国行為でもあったのかもしれない。もしくは、原爆的、広島的な意味で、どうしても、アインシュタインを好きになれない、一般的日本人に向って、佐藤氏の、大躍進の原点である、宇宙方程式byアインシュタインを、自らの理論のよりどころであるからして、あの、激しい学問的尊王攘夷のような、あの人の逆鱗にふれてしまったのかもしれない。

ただ、こういう話は、私もわからない部分が多く、一般的には、こういう風に言われているらしく、どうも、こういうことらしい、と、私なりに、自分でもわかるように、自分のために、説明しているにすぎない。

今のところ、洗面所の渦巻きと、流れる量と、洗面器の形状と、それを応用した宇宙方程式は、一般的に、アインシュタインの業績として受け入れられているが、実際には、そこまでたどり着くまでに、19世紀の、幾何学の世界での、ガウスから始まる膨大な数学者の業績があり、中でも一番業績的に無視されているのが、ポアンカレらしいが、フランスでは、ポアンカレが相対性理論を作った、と教えているところがあるとかないとか?

こういう意味では、歴史を重んじるイギリスでは、どう教えられているのか、興味深い。ある日本人物理学者が、イギリスに行ったら、何で、日本人は、原子の構造のことを、長岡モデルと言わないで、ラザフォードモデルと呼んでいるんだ?と、聞かれて、答えられなかったそうだ。

なぜならば、イギリス人の言うとおりであり、現在の原子の構造のモデルは、教科書的に発見者とされる、ケルビン卿でもなく、長岡理論を、実験して証明したラザフォードでもなく、長岡半太郎が、考えついたものだからだ。

そういうイギリスでは、相対性理論を完成されたのは、誰であると教えられているのか、かなり興味深い。

ちなみに、特殊相対性理論の、ほとんどの数学を完成させたのは、オランダ人ロレンツであるが、これも、アインシュタインの功績になっているのが現状だ。

ウィンドウズができるまでに、驚くほど多くの技術者が、数えきれないほどいたはずだが、未来の教科書は、ウィンドウズは、ビルゲイツが作った。と書いてあるかもしれない。

本当に最初にウィンドウズ形式を作ったアップル社のスティーブジョブズや、そのアップル型PCの原型を作った、ゼロックス研究所の名前でさえ、歴史に残るかどうか、疑わしい。また、そういうパーソナルPCに必ず入っていた、インテル4004というプロセッサ(電気信号処理機)を、ほとんど独自でインテルにおいて開発した、日本人、嶋氏の名前も、100年後の教科書に残っているかどうか?相当、かなり、疑わしい。

せめて、100年後の、NHKの歴史再発見的な番組などで、その名誉が、報道されてくれれば、そのころには死んでいるであろう、偉大な先駆者の魂も報われるというものだろう。

日本的な心情としては、正常な意味で、そういう人のための、神社でも、学問の神様たる、あの神社に、祭ってあげるというのは、現代神道学においては、やはり、無理なんだろうか?

もし、神道が、普遍性をもつならば、そういう方向性が正しいのであって、靖国神社は、わからないことはないのだが、祭るべき人が、はたして、超長期的に見た場合、正しいのかどうか?今のところ、決着がついていないと思える。



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